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東京高等裁判所 平成元年(行ケ)160号 判決

東京都中央区日本橋本町三丁目五番一号

原告

三共株式会社

右代表者代表取締役

河村喜典

右訴訟代理人弁理士

大野彰夫

東京都千代田区霞が関三丁目四番三号

被告

特許庁長官 深沢亘

右指定代理人

岡本利郎

磯部公一

加藤公清

後藤晴男

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告

1  特許庁が、平成元年五月二二日、同庁昭和六三年審判第九七五〇号事件についてした審決を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決

二  被告

主文と同旨の判決

第二  請求の原因

一  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和五四年六月三〇日、名称を「殺ダニ剤」とする発明(以下「本願発明」という。)につき特許出願をしたところ、昭和六三年三月二八日、拒絶査定を受けたので、同年五月二六日、これに対する審判の請求をした。

特許庁は、同請求を昭和六三年審判第九七五〇号事件として審理した上、平成元年五月二二日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年六月二八日、原告に送達された。

二  本願発明の要旨

ミルベマイシンA1、A2、A3、A4、B1、B2、B3、C1およびC2から選ばれた一種又は二種以上とジエチルホスフエート、ジエチルホスホロチオエート、ジエチルホスホロジチオエートまたはエチルホスホノチオエート系有機リン殺虫剤とを有効成分とする殺ダニ剤。

三  本件審決の理由の要点

1  本願出願の日は前記一記載のとおりであり、本願発明の要旨は前記二記載のとおりである。

2  拒絶査定の理由に引用された、本願出願前に頒布された刊行物の特開昭五〇-二九七四二号公報(以下「引用例」という。)には、抗生物質B-41のA1、B-41のA2、B-41のA3、B-41のA4、B-41のB1、B-41のB2、B-41のB3、B-41のC1およびB-41のC2の一種または二種以上を有効成分とすることを特徴とする殺虫殺ダニ剤が記載されるとともに、該剤は他の殺虫殺ダニ活性を有する他の化合物、たとえば、0・0-ジエチル-S-(2-エチルチオ)エチルホスホロジチオエート等を配合して、一層効力を増加し、場合によつては相乗効果を期待することができる旨が記載されている。

3  引用例の抗生物質と本願発明のミルベマイシンとは表現は異なるが同一のものであることは両者の記載を対比すれば明らかであることを考慮して本願発明と引用例の発明とを対比するに、両者は、ミルベマイシンとジエチルホスホロジチオエート系有機リン殺虫剤とを有効成分とする殺ダニ剤である点において一致し、両者は、本願発明では、該有機リン系殺虫剤を併用した場合の殺ダニ効果が開示されているのに対し、引用例では、該有機リン系殺虫剤を併用した場合については、実際にどの程度の殺ダニ効果を呈するかを示すところの具体的データがない点において相違する。

4  以下、上記の相違点について検討する。

引用例によれば、ミルベマイシンに0・0-ジエチル-S-(2-エチルチオ)エチルホスホロジチオエート等を配合すれば一層効力を増加することができるとされていることからみて、ミルベマイシンにジエチルホスホロジチオエート系有機リン殺虫剤を併用した場合について、その殺ダニ効果の同上を期待しつつその確認をすること自体は当業者ならば容易に行ない得ることであり、その間に格別の技術的創意を要したものとすることができない。

そして、本願明細書の記載をみるに、本願発明は、引用例の記載から予想することができない格別に優れている効果を奏しているとするに足るところのものは見いだし得ない。

5  以上のとおりであるから、本願発明は、引用例の記載から当業者が容易に発明をすることかできたものと認められ、特許法第二九条第二項の規定により特許を受けることができない。

四  本件審決を取り消すべき事由

本件審決は、引用例の記載事項の解釈を誤り(認定判断の誤り1)、本願発明の有する顕著な効果を看過誤認した(認定判断の誤り2)結果、本願発明が引用例の記載から容易に発明をすることができたものと誤つて判断した(認定判断の誤り3)ものであるから、違法として取り消されなければならない。

1  引用例記載事項の解釈の誤り(認定判断の誤り1)

引用例に、本件審決認定のようにミルベマイシンに0・0-ジエチル-S-(2-エチルチオ)エチルホスホロジチオエート(以下「ダイシストン」という。)等を配合すれば、一層効果を増加することができる旨記載されていること及び「他の化合物」の例として記載されている右ダイシストンが、本願発明におけるジエチルホスホロジチオエートの下位概念である単一種の有機リン殺虫剤であることは争わない。

しかし、右の事実から、「ミルベマイシンにジエチルホスホロジチオエート系有機リン殺虫剤を併用した場合について、その殺ダニ効果の向上を期待しつつその確認をすること自体は当業者ならば容易に行ない得ることであり、その間に格別の技術的創意を要したものとすることができない。」と結論づけるのは、早急にすぎる。

一般に、二種類の薬物を配合した場合に生じる相互作用としては、〈1〉相加作用、〈2〉拮抗作用及び〈3〉相乗作用の三つかある。このうち、通常は相加作用かほとんどで、稀に拮抗作用あるいは相乗作用の認められる場合のあることが知られている。

そこで、進歩性否定の根拠となつた右引用例を見てみると、「本発明の殺虫殺ダニ剤は他の殺虫殺ダニ活性を有する他の化合物、たとえば……」として、一〇個の化合物を挙げ、これらの化合物あるいは鉱物油等を配合して、「一層効力を増加し、場合によつては相乗効果を期待することができる。」としているものである(甲第五号証第七頁左上欄末行ないし右上欄二行)。この記載は、これらの化合物あるいは鉱物油等を配合しても、相加作用こそあれ、少なくとも拮抗作用はないであろうという程度の消極的な趣旨が記載されているものと理解すべきである。すなわち、右にいう「効力を増加し」とは、配合剤の一つの薬荊の有する効果と他の一つの薬剤の有する効果が合わせられる結果、個々の単剤よりも優れた効力を示すであろうとのこく当然の予想を記載しているにすぎす、また、「相乗効果を期待する」とは、文字どおり一般的な願望を述べたにすぎないと解するのが、全体の記述から見て相当である。もし、現実に優れた効果が生じるというのであれば、技術文献である出願明細書においては、このような漠然たる記述ではなく具体的データを開示するのが自然で、その記載がないということは、右のように単なる願望の表明とみるのが常識に適つた解釈である。

2  本願発明の顕著な効果の看過誤認(認定判断の誤り2)

本願発明は、特許請求の範囲記載の構成を採つたことにより、既存の殺ダニ剤が有しなかつた優れた殺ダニ効果を詩つ殺ダニ剤を得ることができたものである。

すなわち、ミルベマイシンが殺ダニ剤として使用され得ることは引用例にも開示されているが、有機リン殺虫剤抵抗性のハダニ類にミルベマイシン単剤を施用しても、初期の時点においてのみ卓効を示すが、次第に抵抗性が発現するため、これらハダニ類に有効な殺ダニ剤の出現が望まれていた。そこで、発明者はミルベマイシン単剤のみではなく、これに他の物質を混合した殺ダニ剤についての研究を重ねた結果、ミルベマイシンと、ジメチルまたはジブロビルエステルの構造を含む有機リン殺虫剤、例えば、マラソン、フエニトロチオン、ブロバボス等との混合物では所期の効果を得ることはできなかつたが、ミルベマイシンと、モノまたはジエチルエステルの構造を含む有機リン殺虫剤との混合物のみか優れた相乗効果を示すとの知見を得たのである。

本願発明の構成を採つたことによる具体的効果は、本願明細書に記載されているとおりである。これを第一表について見てみると、第一表は、水で濡らした濾紙上のささげ葉片にナミハダニ 雌成虫を接種したものを、数種の溶液に浸漬して濡れ濾紙上に戻し、濾紙を乾燥させないように三日間定温室で保持管理して死亡率(%)を調査した結果を示すものである。

第一表によれば、本願発明においては、ミルベマイシン単剤のみのものに比して、また、特許請求の範囲記載以外の有機リン剤を配合した場合に比して、驚異的な殺ダニ効果が生じているものである。

3  容易推考の判断の誤り(認定判断の誤り3)

(一) 引用例に、ミルベマイシンと配合し得る相手方として例示的に挙げられている一〇個の化合物は、すべて殺虫殺ダニ活性を有するという点では共通するものの、化学構造上は、ジニトロフエノール系、カルビノール系、アミジン系、ジフエニルスルホン系、有機リン系、カーバーメイト系の六系統の、構造を異にする相互に全く脈絡のないものである。そして、これらの化合物のうち、有機リン系に属するものは、ジエチルボスホロチオエート系のダィシストン及びジメチルボスホロジチオエート系の0・0-ジメチル-S-(N-メチル-N-ホルミルカルバモイルメチル)ホスホロジチオエート(甲第六号証の二及び五では「ホルモチオン」の名称で記載されている。)の二つである。

引用例の記載内容については、前記1において述べたように解すべきであるところ、右一〇個の化合物の中から、有機リン系を選びその中から更にダイシストンの上位概念であるジエチルボスホロチオエートを採択するということは、まさに「藁山中の一針」を探すに等しい極めて困難なことであつて、本件審決が述べているように「ミルベマイシンにジエチルボスホロジチオエート系有機リン殺虫剤を併用した場合について、その殺ダニ効果の向上を期待しつつその確認をすること自体は、当業者ならば容易に行ない得ることである。」というような単純なものではない。この点について、以下詳述する。

(二) まず、当業者は、引用例中の引用個所の記載に着目することはない。

引用例は、新規の抗生物質ミルベマイシン(B-41)に関する発明であつて、同公報中に記載されているように、従来は殺虫殺ダニ剤としては多くの有機合成化合物が使用されてきたが、抗生物質について殺虫殺ダニ効果か知られたものは僅かで、しかも、実用化されたのは皆無であつた。このような背景の下で、引用例に接した当業者が注目するのは、ミルベマイシン自体に関する記述であつて、ミルベマイシンと他の殺虫殺ダニ剤との配合に関する記述については、一願だにしないといつても過言ではない。

(三) 次に、仮にミルベマイシンが殺虫殺ダニ活性を有する他の化合物と配合し得ること、また、他の殺菌剤・除草剤等と混合して使用し得る旨の記載(甲第五号証第七頁左上欄一行ないし右上欄五行)について注目する者があるとしても、これを実際に試みてみようとする者の存在は考えられない。前記(一)記載のように、ミルベマイシンと配合し得る他の殺虫殺ダニ性化合物として挙げられている鉱物油以外の九個の各単一化合物は、いずれも前記六系統の化合物群のそれぞれに含まれる膨大な単一化合物中の各一個にすぎず、互いに何の脈絡もないものであるから、当業者は、これらがミルベマイシンと配合されるべきものとして挙げられてはいるものの、実は、単に各系統の化合物群から一個または二個、適当に拾い上げて例示したにすぎないものであることを直観する。したがつて、このようにランダムに採り上げ記載された化合物であることを知つた当業者が、その一つ一つをミルベマイシンと配合して実際に試みてみるというようなことは、到底考えられない。

(四) そもそも、有機リン殺虫剤を含む有機化合物の分類方法は必ずしも一定しておらず、どの点に着目するかによつていくつかの分類方法が考えられる。そして、どのような分類方法に従おうとも「ダイシストン」「ホルモチオン」を、ともに同じ「ホスホロジチオエート系」に分類することはあつても、「ダイシストン」を「ジエチルホスホロジチオエート系」に「ホルモチオン」を「ジメチルホスホロジチオエート系」に分類するということはあり得ない。当業者の観念中には、「ダイシストン」の上位概念としての「ジエチルホスホロジチオエート」というものは、もともと存在しないのである。

「ダイシストン」が本件審決認定のように「ジエチルホスホロジチオエート」の下位概念である単一種の有機リン殺虫剤であることは、事実ではある。しかし、右に述べたようなことから、「ダイシストン」を、酸素原子に結合した低級アルキル基の炭素原子数に着目して「ジエチルホスホロジチオエート」に分類するということは、講学上あるいは実務上あり得ない。当業者にとつて、「ダイシストン」の上位概念は「ホスホロジチオエート」であつて「ジエチルホスホロジチオエート」ではないのである。

したがつて、引用例に、ミルベマイシンと0・0-ジエチル-S-(2-エチルチオ)エチルホスホロジチオエート等を配合すれば一層効果を増加することができるとの記載があつても、当業者がこの記載からジエチルホスホロジチオエート系有機リン酸殺虫剤との配合に容易に想到し得るとみるのは、誤りである。

(五) 前記(三)において、引用例記載の一〇個の化合物について逐一ミルベマイシンと配合してみてその効果を確認しようとする者の存在は考えられない旨述べたが、仮に、これを実行する者があつたとしても、実験の結果、本願発明に到達することは、不可能である。

当業者が右の一〇個の化合物のすべてについて、ミルベマイシンと逐一配合する試験を行つたとする。一〇個の組合せのうち幾通りで相乗効果が得られるか不明であるが、「ダイシストン」との配合剤では相乗的効果が、「ホルモチオン」との配合剤では相加的ないし弱い相乗的効果が得られるであろう。「ダイシストン」も「ホルモチオン」も共にホスホロジチオエート系化合物であるから、この実験結果は、意外であり、実験上まま遭遇するいわゆる異常値として「ダイシストン」配合剤区の実験結果を捨て去り、それ以上の追求をしない可能性すらある。何故ならば、二種配合剤において、通常は共に相加的効果を示すか、あるいは、稀にではあるが共に相乗的効果を示すかのいずれかであることを、当業者は先験的に知悉しているからである。

第三  請求の原因に対する認否及び主張

一  請求の原因一ないし三の事実は認め、同四の主張は争う。

二  本件審決の認定判断は正当であり、原告主張の違法はない。

1  認定判断の誤り1について

引用例には、原告も認めるように、引用例発明の抗生物質ミルベマイシンからなる殺虫殺ダニ剤に配合し得る他の殺虫殺ダニ活性を有する化合物が記載されており、引用例の右記載は、当該技術分野の特許文献において散見される、配合可能な化合物として公知の無数の化合物を単にあるいは上位概念でくくつてとりとめもなく羅列したものとは異なり、ダイシストンを含む限られた一〇個の化合物を、一層効力を増加し、場合によつては相乗効果を期待することができるものとして具体的に示している。

また、殺虫剤等の農薬においては、単剤では耐性ができたり効力が十分でない場合などがあるため、公知の他の農薬との併用による、一層効力の優れた配合剤の探索か広く行われている。

してみると、引用例の右記載は、少なくとも一層効力を増加し得るミルベマイシンの配合剤の具体例を開示しているとみるべきであつて、引用例の右効果の記載を、原告が主張するように当然の予想や一般的な願望を述べたにすぎないと解することはできない。

2  認定判断の誤り2について

本願発明は、ミルベマイシン単独よりも優れた効果を奏するものではあるが、その効果は引用例に示されたミルベマイシンおよびダイシストンの各単剤の有する殺ダニ活性と同種の効果であり、しかも引用例には「場合によつては相乗効果を期待することができる」と明記されているのであるから、同記載に従つて、例示された限られた一〇個の化合物について配合試験を行い、ダイシストンとの配合が優れた効果を奏することを認めたとして も、それは引用例において示唆された範囲内の効果の確認にすぎず、格別顕著な効果とみることはできないものである。

3  認定判断の誤り3について

(一) 認定判断の誤り3の(二)について

前記1で述べたように、単剤では効果が十分でない場台に、より効力の優れた配合剤を探索し開発することは広く行われていることであるから、引用例のミルベマイシンとの配合剤に関する記載は、当業者にとつて十分注目に値するところであつて、原告が主張するような一顧だにされないというものではない。

(二) 同3の(三)について

前記1で述べたように、引用例における配合剤の効果についての「一層効力を増加し、場合によつては相乗効果を期待することができる」という記載は、単なる願望を述べたものではなく、また、より優れた配合剤を探索しようとするに当たり、その効果まで示唆して配合し得ることを示しているものについて、まず実際にどの程度の効果を奏するのかを確認した上で、より優れた配合剤を探索しようとするのが筋道であるから、原告が主張するように、該一〇個の化合物に脈絡がなく、また、引用例の試験例4及び5において、リン系有機化合物の一部の単剤がミルベマイシンに比べて効果が低いことが示されていたとしても、それをもつてダイシストンを含む一〇個の化合物のミルベマイシンとの配合剤について効果を確認してみようとする者の存在は考えられないとする原告の主張は当を得ないというべきである。

(三) 同3の(四)について

ダイシストンが講学上殺虫剤としてどのように分類されるかはともかく、原告も認めるように、ダイシストンが本願発明で上位概念的に呼称するところのジエチルホスホロジチオエート系有機リン殺虫剤に包含されることは明らかである。

したがつて、本願発明は、ミルベマイシンとダイシストンとの配合剤を包含する以上、前記2で述べたように格別顕著な効果を奏するとはいえないから、原告の、本願発明のジエチルホスホロジチオエート系有機リン殺虫剤との配合は引用例の記載から容易に想到し得るものではないという主張は当を得ないものである。

(四) 同3の(五)について

薬効が化合物のわずかな構造の変化により大きく変ることは、農薬の分野でしばしば見られることであるから、引用例の「一層効力を増加し、場合によつては相乗効果を期待することができる」という記載に従つて優れた配合剤を探索するに当たり、ダイシストンとの配合剤で相乗効果が得られ、ホルモチオンとの配合剤で相加的ないし弱い相乗効果が得られた場合に、原告が主張するように、ダイシストンの実験結果を異常値として捨て去りそれ以上の追求をしないということは不自然であつて、むしろ、ダイシストンの方を積極的に評価するのが普通であると考えられる。

(五) 以上のとおりであつて、本願発明がミルベマイシンとダイシストンとの配合剤を包含する以上、本願発明の配合剤の探索が、原告の主張するような「藁山中の一針」を探すに等しい困難なものであるとはいえない。

第四  証拠

本件記録中の書証目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求の原因一ないし三の事実(特許庁における手続の経緯、本願発明の要旨及び本件審決の理由の要点)については、当事者間に争いがない。

二  認定判断の誤り1について

1  引用例に、「本発明の殺虫殺ダニ剤は他の殺虫殺ダニ活性を有する他の化合物、たとえば……」として、ダイシストンを含む一〇個の化合物を挙げ、これらの化合物を配合して「一層効力を増加し、場合によつては相乗効果を期待することができる。」旨記載されていることについては当事者間に争いがない。

2  原告は、右「効力を増加し」とは、配合剤の一つの薬剤の有する効果と他の一つの薬剤の有する効果が合わせられる結果、個々の単剤よりも優れた効力を示すであろうとのごく当然の予想を記載しているにすぎず、また、「相乗効果を期待する」とは、文字どおり一般的な願望を述べたにすぎないと解するのが、全体の記述からみて相当である旨主張する。

しかしながら、成立に争いのない甲第五号証によれば、引用例には、引用例発明の殺虫殺ダニ剤に配合する他の殺虫殺ダニ活性を有する他の化合物として、「2-(1-メチルプロピル)-4・6-ジニトロフエニル-β・β-ジメチルアクリレート、ジ-(Pクロルフエニル)-シクロプロピルカルビノール、N-(2-メチル-4-クロルフエニル)-N・N-ジメチルホルムアミジン、2・4・4'・5-テトラクロルジフエニルスルホン、1・1-ビス-(P-クロルフエニル)2・2・2-トリクロルエタノール、0・0-ジエチルS-(2-エチルチオ)エチルホスホロジチオエート、0・0-ジメチルS-(N-メチル-N-ホルミルカルバモイルメチル)ホスホロジチオエート、2-セコンダリーブチルフエニル-N-メチルカーバメイト、m-トリル-N-メチルカーバメイトあるいは鉱物油」が記載されていることが羅められるが、これら引用例に記載された一〇個の化合物が公知の化合物を単に、あるいは上位概念でくくつて羅列したものとは認められず、ダイシストンを含む限られた一〇個の化合物を、一層効力を増加し、場合によつては相乗効果を期待することができるものとして、具体的に記載しているものと認められる。

したがつて、殺虫剤等において、単剤では耐性ができたり効力が十分でない場合があるため、公知の他の薬剤と混合することが広く行われていたとしても、引用例の「効力を増加し」及び「相乗効果を期待する」旨の前記記載は、他の薬剤と混合したことによる当然の予想や単なる願望を述べたものと解することはできないから、原告の右主張は理由がない。

3  また、原告は、もし、現実に優れた効果が生じるというのであれば、技術文献である出願明細書においては、このような漠然たる記述ではなく具体的なデータを開示するのが自然である旨主張する。

しかしながら、出願明細書の発明の詳細な説明の欄の記載は、特許請求の範囲に記載された発明に必要な限度において適宜記載されるものであり、その記述の方法程度は千差万別であるから、具体的なデータの開示がないとしても、このことから前記記載が単なる願望の表現とみることはできず、原告の右主張は理由がない。

三  認定判断の誤り2について

1  成立に争いのない甲第二号証によれば、本願発明のミルベマイシンが新抗生物質B-41(引用例記載の抗生物質)の一般名称であり、また、本願明細書には、本願発明の効果について「本発明者は研究を重ねた結果、意外なことにミルベマイシンと前記モノまたはジエチルエステルの構造を含む有機リン殺虫剤との混合物のみが特異的に相乗効果を示し、ジエチルまたはジプロピルエステルの構造を含む有機リン殺虫剤例えばマラソン、フエニトロチオン、プロパホスとの混合物ではこのような効果を示さないことを見いだし、このことはハダニ類の体内におけるミルベマイシンの分解代謝と有機リン剤の構造とは関係があり、ミルベマイシンのハダニ抵抗性発現機構を前記モノまたはジエチルエステルの構造を含む有機リン剤が特異的に抑制しているためと推定される。このように、本発明の殺ダニ剤は、有機リン殺虫剤のみならず、ミルベマイシンにも抵抗性を有するハダニ類を防除でき、しかもこれらの化合物をそれぞれ単独に使用したときの効果よりも混合物を施用したときの効果の方が顕著に大きいという予期しない相乗効果を示す。」(甲第二号証第二頁右上欄二行ないし末行)と記載されていることが認められる。

右事実によれば、本願発明は、ミルベマイシン単独よりも優れた効果を奏するものであると認められるが、前記のとおり、引用例には、ミルベマイシンとダイシストンを含む一〇個の化合物と混合すると「一層効力を増加し、場合によつては相乗効果を期待することができる」ことが記載されているから、引用例の右記載に従つて、ミルベマイシンとダイシストンとを混合することにより、殺ダニにおける相乗効果が発現することを認めたとしても、それは引用例に示された範囲の効果の確認にすぎず、格別願著な効果とみることはできないから、本願発明の効果が引用例の記載から予想し得ないものであるとすることはできない。

2  したがつて、本件審決が、「本願発明は、引用例の記載から予想することができない格別に優れている効果を奏しているとするに足るところのものは見いだし得ない。」と判断したことに原告主張の誤りはない。

四  認定判断の誤り3について

1  引用例に、ミルベマイシンにダイシストンを含む殺ダニ活性を有する一〇個の化合物を配合した場合は、引用例の発明の殺虫殺ダニ作用、特に殺ダニ作用の一層の増加が得られ、また、配合する化合物によつては相乗効果が得られる可能性のあることが記載されていることは前記のとおりであり、また、ダイシストンが本願発明におけるジエチルボスホロジチオエートの下位概念である単一の有機リン殺虫剤であることについては、当事者間に争いがない。

右事実によれば、引用例の発明の殺虫殺ダニ剤に例示された一〇個の化合物をそれぞれ配合して、例示された一〇個の化合物毎に、配合による効力増強の発現状況を確認することは、当業者にとつて格別困難であるということはできず、したがつて、引用例の発明の殺虫殺ダニ剤に例示されている化合物のひとつであるダイシストンを配合することにより、殺ダニにおける相乗効果が発現することを見いだすことは当業者が容易になし得ることであると認められる。

そして、前記のとおり、引用例記載の発明の抗生物質と本願発明のミルベマイシンとが同一のものであることは、本願明細書の記載からも明らかであり、また、引用例におけるダイシストンが本願発明におけるジエチルホスホロジチオエート系有機リン殺虫剤に包含されるものであるから、本願発明における有効成分の組合せに、格別の困難性があるということはできない。

2  原告は、引用例に接した当業者はミルベマイシンと他の殺虫殺ダニ剤との配合に関する記述には一願だにしないといつても過言ではなく、仮にこの記述に注目する者があるとしても、これを実際に試みてみようとする者の存在は考えられない旨主張する。

しかしながら、殺虫剤等の農薬に限らず、単剤では効果が十分でない場合に、より効力の優れた配合剤を探索することは技術常識であり、引用例のミルベマイシンとの配合剤に関する前記記載は、当業者にとつて十分注目に値するものと認められるから、原告の右主張は理由がない。

3  原告は、ダイシストンをジエチルホスホロジチオエートに分類することは、構学上あるいは実務上あり得ないから、引用例に、ミルベマイシンとダイシストン等を配合すれば一層の効果を増加することができるとの記載があつても、当業者がこの記載からジエチルホスホロジチオエート系有機リン酸殺虫剤との配合を想到し得るとみるのは誤りである旨主張する。

しかしながら、ダイシストンが殺虫剤として構学上どのように分類されるかはさておくとして、前記のとおり、ダイシストンが「ジエチルホスホロジチオエート」の下位概念である単一種の有機リン殺虫剤であり、また、本願発明がミルベマイシンとダイシストンとの配合剤を包含する以上、当業者が引用例の前記記載からジエチルホスホロジチオエート系有機リン酸殺虫剤との配合を想到し得ないということはできない。

4  原告は、仮に、前記一〇個の化合物のすべてについて、ミルベマイシンと逐一配合試験を行う者があり、ダイシストンとの配合剤では相乗効果が得られたとしても、実験上の異常値として実験結果を捨て去り、それ以上追求しない可能性がある旨主張する。

しかしながら、引用例の「一層効力を増加し、場合によつては相乗効果を期待することができる」という記載に従つて、前記一〇個の化合物のすべてについて、ミルベマイシンと逐一配合試験を行つた結果、ダイシストンとの配合剤では相乗効果が得られたとすれば、右記載の正確性を確認こそすれ、実験上の異常値として実験結果を捨て去り、それ以上追求しない可能性があるとはいえない。

5  したがつて、本件審決が「ミルベマイシンにジエチルホスホロチオエート系有機リン殺虫剤を併用した場合について、その殺ダニ効果の向上を期待しつつその確認をすること自体は、当業者ならば容易に行い得ることである。」と認定判断したことに原告主張の違法はない。

五  よつて、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 元木伸 裁判官 西田美昭 裁判官 島田清次郎)

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